ゴータマと『スッタニパータ』

『スッタニパータ』(Snと略記)の詩句は第一章から第五章まであり、1~1149まで番号がつけられている。

(一)中村元(大正元年-平成11年)は前記の書籍『ブッダのことば スッタニパータ』で次のように言っている。


1 -

南方アジアの仏教諸国に伝わった経典は五種に分れ、その第五のものを『クッダカ・ニカーヤ』というが、それがさらに一五に分れているうちの第五に相当する(ものが『スッタニパータ』である)。

 

2 -

いまここに訳出した『ブッダのことば(スッタニパータ)』は、現代の学問的研究の示すところによると、仏教の多数の諸聖典のうちでも、最も古いものであり、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダ(釈尊)のことばに最も近い詩句を集成した一つの聖典である。シナ・日本の仏教にはほとんど知られなかったが、学問的には極めて重要である。これによって、われわれはゴータマ・ブッダその人あるいは最初期の仏教に近づきうる一つの通路をもつからである。

 

3 -

この『ブッダのことば(スッタニパータ)』の中では、発展する以前の簡単素朴な、最初期の仏教が示されている。そこには後代のような煩瑣(はんさ)な教理は少しも述べられていない。ブッダ(釈尊)はこのような単純ですなおな形で、人として歩むべき道を説いたのである。かれには、みずから特殊な宗教の開祖となるという意識はなかった。

 

4 -

当時の聖者たちの説いていること、真理を、釈尊はただ伝えただけにすぎないのである。かれには<仏教>という意識がなかったのである。

 

5 -

〔ゴータマ・ブッダ(釈尊)は〕人間としての真の道を自覚して生きることをめざし、生を終るまで実践していたのである。

 

6 -

「自己の安らぎ(ニルヴァーナ)を学ぶ」というのは、よく気をつけて、熱心であることにほかならない。 

 

(二)宮坂宥勝(大正10年-平成23年)は前記の書籍『ブッダの教え スッタニパータ』で次のように言っている。


1 -

伝統的なバラモン教から見れば、確かに仏教は異端の宗教である。異端と見なされる最大の理由はナースティカ(無神論)、すなわちバラモン教のヴェーダ聖典の権威を否定し、創造主としての神の存在と階級社会を認めないということである。

 

2 -

これまでの仏教研究で見落とされたり、あるいは問題意識の埒外にあったのは、…仏教やジャイナ教が本来、種族宗教に起源するという歴史的な事実である。

 

3 -

前六、五世紀頃、ガンジス河中流域地方には…四大国があった。いずれもアリアン民族によって建設された新興国家である。

 

4 -

ところが、当時、…とくにガンジス河中流域北岸地方にはまだ土着原住の種族が多数居住していたのである。

 

5 -

釈尊は種族社会の出身であった。

 

6 -

仏教やジャイナ教のような新宗教が興起したのは古代インドの激動期であり、伝統的なバラモン教に対して新しい宗教や哲学思想が現れたのは時代の要請であったといわなければならない。

 

7 -

新興国家による種族侵略は、すべて種族殲滅戦争で終焉を迎えている。

 

8 -

釈尊の仏教もまた種族共同体、種族社会を宗教的に再建したものである。

 

9 -

種族と国家の併存というこの歴史的な事実認識に対して、…仏伝についても、…およそ次のような通俗的な見方がほとんど常識化しているのを指摘しておかなければならない。

すなわち、

かつて釈迦族による釈迦国があった。この国の浄飯王を父とし、王妃摩耶夫人を母として釈尊は生誕した。王子釈尊は国王となるべく運命づけられていた。贅の限りを尽し、美女たちに取り囲まれて酒池肉林の享楽三昧を送っていた。出家の志を抱いていた釈尊を王宮にとどめておくために、父王は冬・夏・春の三宮殿を彼に与えた。彼を世俗にとどまらせるためであった。しかし、それでも釈尊は出家して六年間苦行し、三十五歳のとき成道して仏陀となった。ヴァーラーナシーにおける初転法輪(最初説法)は釈尊の無師独悟の覚りを説いたものである云々――。今日のすべての釈尊伝もこの通説通りに書かれている。

 

10 -

このような釈尊伝は仏伝作者たちが釈尊の偉大性を伝えるために創作したフィクションにすぎない。

 

11 -

釈迦族はかつて一度も国家を建設したことはなかった。

 

12 -

仏教のすべてが釈尊によって創唱されたとは思われない。

 

13 - 初期仏教には過去七仏信仰がある。それによると、釈尊はその中の第七祖である。釈尊自身が「諸仏=目覚めた者たちは説く」と説いている。

 

14 -

釈尊が迦葉仏の教説を伝承したものだと解することができるであろう。

 

15 -

種族宗教は極めて呪術的であり、したがって禁欲主義的、苦行主義的な特徴を有する。

 

16 -

仏教の場合は釈迦族の種族宗教を継承する保守伝統派を代表するデーヴァダッタと進歩革新派を代表する釈尊との対

立がある。

 

17 -

種族宗教の特色であるアニミズムとトーテミズムを釈尊は間接的にではあるが徹底的に批判し排除する。ところが、デーヴァダッタは釈尊の異母弟であるが、極めて厳格な苦行主義の立場をとる。彼はバラモン教の経済的地盤である農村部を托鉢して歩いた。そして、新興国家の殷賑を極める大都会に入って托鉢する釈尊を批難している。

 

18 -

種族宗教を継承したデーヴァダッタの仏教教団は釈尊仏教とことごとく対立し抗争した。後年、デーヴァダッタは釈尊を殺害しようとたびたび企てた。が、すべて失敗に終る。

 

19 -

総体的にみて種族宗教は素朴なアニミズム信仰であったと思われる。ところが、仏教、とくに釈尊仏教はいちはやくアニミズムから脱却し、そして苦行主義と決別したところに普遍宗教として発展する遠因があったと思われる。

 

20 -

種族のアニミズム的形態には祖霊信仰、樹木信仰、ガンジス河などの沐浴や水葬の風習など、また庶物信仰とくに舎利信仰がある。仏教が沐浴やトーテミズムを批判し排除したことは、今までの研究ではほとんど無視されている。

 

21 -

釈尊はバラモン教体制のアリアン社会を厳しく批判する。主要な論点は、およそ次の三つである。

 

イ.ヴェーダ聖典の権威を否定する。

仏教からみるとヴェーダ聖典は神の啓示による絶対的なものではなくて、人為性のものすなわち何人(なんぴと)かが制作編集したものである。

 

ロ.有神論批判

釈尊は創造主としての神の存在を容認しない。これは縁起的世界観によるからである。

 

ハ.無階級主義

このことを理解するためには最古インドにおける階級制の社会的固定化がいかに厳しいものであったかを知っておく必要があろう。人間は誰しも生まれながらにして社会的階層の差別が決定しているのではなくて、人間としての行為(漢訳、業)によって階層の分化がみられるにすぎないとして、慣習的固定的なバラモン教社会を釈尊は否認している。これは社会的な階層差別が決定づけられる条件としての輪廻転生を断ち切ることを目指す、自覚宗教としての釈尊仏教を歴史的事実に即して正しく理解するためにも重要な事柄であるといわなければばらない。

 

22 -

仏教はバラモン教の祭式主義に対して祭式を否定排除し、…ウパニシャッド哲学の知性主義の立場もとらずに、アートマン(実体的な自我の存在)の哲学に対して無我も標榜した。

 

23 -

また、仏教は禁欲的な苦行主義すなわち古代種族宗教の呪術的世界観とも訣別した。そして世俗的な欲望充足主義であるバラモン教の世俗肯定的世界観をも否定した。仏教は、いわば中道主義の立場をとった自覚宗教の旗色を鮮明ならしめた。

 

24 -

仏教が民俗宗教に堕することなく、極めて普遍的な世界宗教として発展するに至ったことが、Snの全篇を読み通してみて首肯することができよう。

 

25 -

人間存在をあらしめている実存の実体はひとえに渇望や欲望のはたらきにほかならない。…この渇望を抑止し欲望を制御するのが釈尊仏教の実践体系における第一命題である。そのためには実体的な自我の存在を否定し、さらには一切の私的所有の観念を否認しなければならない。

 

26 -

ヴェーダ・アリアン民族に伝統的なバラモン教の聖典ヴェーダは、四階級の中の司祭階級のバラモンたちだけが伝承してきたものである。…これに対して真向から反対したのが釈尊であった。…仏教は社会的な階級差別を問わずにすべての者に説かれる。

 

27 -

Snには輪廻転生からの解脱が仏教的実践の究極目的として説かれている。…輪廻転生を抜きにした仏教はあり得ないことをSnは雄弁に物語っている。

 

28 -

初期仏教の当時、釈尊が仏弟子や在俗信者たちに説いた涅槃(nibbāna)とは日常生活における心の安らぎそのもののことであった。

 

29 -

Snを読むと、釈尊は決して安易な人生論を説いているのでもなければ、現代人が好んで口にするような空疎な幸福論なるものも教えてはいないようである。欲望の肥大化を戒め、非暴力主義(慈悲の精神)の立場を鮮明ならしめている。自他平等の慈悲行の実践のためには、無我すなわち自己解体をしなければならない。われわれ現代人にとってこれは最大の難問であろう。…釈尊が説かれた「涅槃への道」に、自己消滅に至るまでの想像を絶するような厳しさとストイックな過酷さを感じるのは訳者だけであろうか。

 

(三)毎田周一(明治39年―昭和42年)は前期の書籍『釈尊にまのあたり スッタ・ニパータ第一・四章』で次のように言っている。


1 -

ここに釈尊がおいでになる以上、私にとって仏教経典は、このスッタ・ニバータ一筒にて足るのである。

 

2 -

スッタ・ニバータを世界の全人類に送り届ける。そこに全人類の救いあることを確信して。

 

3 -

仏教が真理の教であり、真理認識を人々に徹せしめんとすることの外に何等の意図も意向も動向も持たないことを見るべきである。

 

4 -

真理は生きたるものである。瞬間瞬間に新たである。固定を許さない。この新鮮な、刻々の把握を措いて、真理の把握はない。

 

5 -

釈尊の摑まれし真理は無常であるといわれる。だから刻々の把握を措いて外にないのである。刻々に現すその新生面において、私達は無常の真理に出会うのである。

 

6 -

無常とはこの世界が刻々に未知の世界に突入する、過去の知識・経験では、摑む能わざる、絶対的変改の今であることを意味する。

 

7 -

現象の背後に本体を求めることの愚を笑ったゲーテは、仏教の無常法に徹せる人であった。映像のみ、現象のみ、その外の何の実在もなく、本体もないということが、無常法である。

 

8 -

無常としての真理の認識ということが、仏教にとって一にして全なることを…見るのである。

 

9 -

論議によって摑まれるようなことを決して仏教では真理としないのである。真理は直観さるべきもの、真理は一閃である。

 

10 -

真理とは直観というよりも、行為的直観そのものである。あるいは自覚そのものである。仏陀(自覚者)の自覚の言葉を聞いて、自ら、ただ一人内省して、感得すべきもの。内省と論議とは相去ること千万里である。

 

11 -

真理そのものとして働くという所にある直観を行為的直観という。

 

12 -

直観の世界たる宗教の世界に、思惟の入り込む余地はない。

 

13 -

思いによって、ありとあらゆる妄想が起るといわれる、一句こそは、仏法の真理の一句である。

 

14 -

仏法の智慧とは、徹頭徹尾、行為的直観によって、生活を終始することである。行為的直観そのものが真理であり、その真理を生きるものにとって、そこに真理以外の何ものもない。即ち迷いはない。

 

15 -

眼前の事物を直観し、このみることによってのみ働くのを真理に従う行動という。頭で考えないのである。…直観的に行動せずして、考えてするこが一切の苦悩・悲惨の元なのである。

 

16 -

その人自身の見解などを振廻さず、ただ眼前の事物に直接、思想の媒介なしに、行為的直観を以て接し、又働き、処理してゆくのである。

 

17 -

この直観も捨てられるところに、「無」の絶体がある。釈尊はそこにおいでになったのである。…釈尊の「無」の境涯は、無常の体現者として、無常そのものを働かれるところにあった。

 

18 -

超絶界の自在にある方が、不安にとりつかれてうろうろしている俗人の間におわすということほどの大慈悲が何処にあるか。

 

19 -

あるだけのもので満足しという処に、仏教の極点が示されている。…死をものともしないということがなければ、あるだけのもので満足しということは、決してあり得ないのである。死を恐れないとは、生命独立の尊厳を守るということである。

 

20 -

貪ることに精出すのでもなく、欲を離れようとして躍起になるのでもないということは、ただ生命の自然ということである。

 

21 -

自分の卑しげな貪りを反省し、少欲知足の道へ進めば、立所に苦悩は解決する。

 

22 -

仏法はこの貪らずの一句に尽きる。その他の何ものも要しないのである。貪らずの一句に、完全にこの世が超えられている。その貪らずにいかにして到るかといえば、ひとえに真理の認識によって到るのである。それ以外に道はない。ただ智慧のみである。

 

23 -

煩悩具足の凡夫の自覚が救いであるとは、かくの如く刻々のことである。遂にこれでよいということがないのである。

 

24 -

後悔の念を絶ち切るとは、過去の遮断である。現在の無常が刻々に創造的に過去を超えているとき、過去に捉われ、過去に為した過失を悔いる余地はない。それには余りに現在の生命が創造的である。…過去を悔いて愚図愚図していることが、いかに真理と反するかを知る。過失を犯した自己というものを固定して、今も尚持って廻ることを悔いるという…。

 

25 -

どんな考えにもとりついていないとき、とはよく「無」の自在を顕している。ここに仏教の極点があるのである。

 

26 -

命がけでなければ、第一真理の道へ進み得ないのである。―誰よりも釈尊御自身のその強固なる意志を思う。勇気を持ってとは、その貫徹への意志の激しさであり、びくともしない強気である。そこには命を賭けたもの、恐れなきものがある。

 

27 -

糞掃衣を身にまとい、鉄鉢を衣に巻いて行乞せられる釈尊の御姿。誰もその身なりを見ては軽蔑したことであろう。蔑まれ、凌辱されつつ、村里の道を静かに行かれし釈尊を思う。その乞食の姿を。どんなに癪に障るような罵倒・軽蔑の言葉を浴せられても、荒々しい言葉でいい返してはならないといわれる。慈悲忍辱の姿である。下賤・低級な、最も浅ましい惨めな服装と食事をなさってゆかれた、現実の釈尊の姿を思へ。