『スッタニパータ』(Snと略記)の詩句は第一章から第五章まであり、1~1149まで番号がつけられている。
以下Snからの詩句は、中村元訳『ブッタのことば スッタニパータ』から
937 -
世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。
805 -
人々は「わがものである」と執著(しゅうじゃく)した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家(ざいけ)にとどまっていてはならない。
777 -
(何ものかを)わがものであると執著して動揺している人々を見よ。…「わがもの」という思いを離れて行うべきである。―諸々の生存に対して執著することなしに。
801 -
かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居(すまい)は、かれには何も存在しない。
652~654 -
行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。…賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起(えんぎ)を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。
152 -
諸々(もろもろ)の邪(よこし)まな見解にとらわれず、戒(いましめ)を保ち、見るはたらきを具(そな)えて、諸々の欲望に関する貪(むさぼ)りを除いた人は、決して再び母胎に宿(やど)ることがないであろう。
171 -
世間には五種の欲望の対象(たいしょう)があり、意(の対象)が第六であると説き示されている。それらに対する貪欲(とんよく)を離れたならば、すなわち苦しみから解き放たれる。
947 -
かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何ぴとをも羨(うらや)むことがない。
1070 -
よく気をつけて、無所有をめざしつつ、「何も存在しない」と思うことによって、煩悩(ぼんのう)の激流を渡れ。
1050 -
世の中にある種々様々な苦しみは、執著(しゅうじゃく)を縁として生起する。
856 -
依りかかることのない人は、理法を知ってこだわることがないのである。かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。
872 -
諸々の所有欲は欲求を縁として起る。欲求がないときは、<わがもの>という我執も存在しない。
1119 -
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。
803 -
かれらは、妄想分別をなすことなく、(いすれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。かれらは、諸々の教義のいずれかをも受け入れることもない。バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。このような人は、彼岸(ひがん)に達して、もはや還(かえ)ってこない。
773 -
欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱(げだつ)しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。
1064 -
わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱(げだつ)させ得ないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。
837 -
「わたくしはこのことを説く」ということがわたくしにはない。
184 -
ひとは…智慧によって全く清らかとなる。
927 -
わが徒は、…呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらな)いと相(そう)の占いと星占いとを行なってはならない。
795 -
かれは欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない。かれは<この世ではこれが最上のものである>と固執することもない。
798 -
それ故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってなならない。
800 -
かれは実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。
846 -
かれは宗教的行為によっても導かれないし、また伝統的な学問によっても導かれない。かれは執著の巣窟に導きいれられることがない。
900 -
一切の戒律や誓いをも捨て、(世間の)罪過(ざいか)あり或いは罪過なきこの(宗教的)行為をも捨て、「清浄である」とか「不浄である」とかいってねがい求めることもなく、それらにとらわれずに行え。――安らぎを固執することなく。
919 -
修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。
972 -
瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。
1082 -
この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究(きわ)め明(あか)して、心に汚れのない人々―かれらは実に「煩悩の激流を乗り超えた人々である」と、わたしは説くのである。
1086 -
この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
1094 -
いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、――これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。
1099 -
そなたが何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。
1106〜1107 -
愛欲と憂(うれ)いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持を除くこと、悔恨(かいこん)をやめること、平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、―それらは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、―これが無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。
226 -
この<心の安定>と等しいものはほかに存在しない。このすぐれた宔は理法(考え)のうちに存する。
501 -
自分を洲(す・よりどころ)として世間を歩み、無一物で、あらゆることに関して解脱している人々がいる。
666 -
けだし何者(なにもの)の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて(業をつくった)主がそれを受ける。
743 -
諸々の賢者は、執著が消滅するが故に、正しく知って、生れの消滅したことを熟知して、再び迷いの生存にもどることがない。