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-釈尊にまのあたり-

全4冊(各 1,200円)

『釈尊にまのあたり』管見:黒坂和雄(明悠会『海雲』平成29年4月 No.136)


 

 『釈尊にまのあたり』は毎田周一先生がスッタ・ニパータの第一章と第四章を訳し解説したもので、書き終えた三ケ月後の昭和四十二年二月、先生は急逝された。

 

 碩学によれば、スツタ・ニパータは最古の仏教聖典で、シナ・日本の仏教にはほとんど知られなかったが、学問的には極めて重要、だそうである。『釈尊にまのあたり』の「あとがき」で、毎田先生は次のように記している。

 

 「私は、このスッタ・ニパータを釈尊の具体相を知る唯一の経とするのである。」「私は釈尊たゞお一人を知ればよい人間である。こゝに釈尊がおいでになる以上、私にとつて仏教経典は、このスッタ・ニパータ一箇にて足るのである。」

 

 「(スッタ・ニパータは)多分仏滅後二百年頃、書かれたのである。」「(私は)たゞこのスッタ・ニパータを世に現さうとしただけの男であるといはれゝば、それで本望なのである。そのスッタ・ニパータを現さうとした此の書、『釈尊にまのあたり』を私の生涯の只一冊の書として、それでよいのである。」

 

 「スッタ・ニパータを世界の全人類に送り届ける。そこに全人類の救ひあることを確信して。」

 

 毎田先生によれば、スッタ・ニパータは親鸞も道元も清沢満之も暁烏敏も知らなかった経典だそうである。

 

 『釈尊にまのあたり』には次のようなことが書かれている。

 

 「釈尊の掴まれし真理は無常であるといはれる。だから刻々の把握を措いて外にないのである。」「現象の背後に本体を求

めることの愚を笑ったゲーテは、仏教の無常法に徹せる人であつた。現象のみ、その外に何の実在もなく、といふことが無常法である。」「無常としての真理の認識といふことが、仏教にとつて一にして全である。」「真理は直観さるべきもの、

真理は一閃である。」「真理とは行為的直観そのものである。仏陀(自覚者)の自覚の言葉を聞ひて、自ら、たゞ一人内省し

て、感得すべきもの。」「仏法の智慧とは、行為的直観によつて、生活を終始することである。」「直観的に行動せずして考へてすることが一切の苦悩・悲惨の元なのである。」「この直観も捨てられるところに、『無』の絶対がある。釈尊はそこに

おいでになつたのである。」「貪りを反省し、少欲知足の道ヘ進めば、立所に苦悩は解決する。」「仏法はこの貪らずの一句

に尽きる。いかにして到るかと言へば、ひとへに真理の認識によつて到るのである。ただ智慧のみである。」

ゲーテの言葉から二つ。「真実でないものは建設しない。」「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。」