日本人よ、ブッダ(仏陀)たれ

(一)


 私達の父祖は、生存を賭けて、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争を戦った。戦わなければ、日本は植民地にされていたかもしれず、最後は扼殺されたかもしれない。

 日本人のこの戦いがなかったら、21世紀の今も、アジア・アフリカの植民地は温存され、人種差別も罷り通っているかもしれない。

 日清・日露・大東亜の戦争が、植民地解放と人種差別撤廃の端緒となったとも知らずに戦った、家族思いの兵士達。勇者は今、どこにいるのだろう。

 

 

(二)


 人々は行為によって成立つとするならば、現生人類は、核兵器を保有しているから、ならず者なのである、といえないであろうか。現生人類がならず者であるから核兵器を保有しているのではない。

 日本は二回にわたって核攻撃を受けた。今、周囲を、核兵器を保有しているという、ならず者の現生人類に囲まれている。にもかかわらず、眼を瞑って願望を唱えているばかりで、核攻撃からの抑止力を持とうとしない。核攻撃からの抑止力を持とうとしないから、無能・怯懦なのである、といえないであろうか。無能・怯懦だから核攻撃からの抑止力を持とうとしないのではない。

 

 

(三)


 父祖は、生存と戦争は同義語だ、ということを自覚していたのであろうか。父祖は、帝国主義の時代を生きたから、それを肌で知らざるを得なかったのであろうか。21世紀も帝国主義は廃(すた)ることはなく、現生人類は、武力による侵略を今も行なっているから、ならず者なのである、といえないであろうか。現生人類は、ならず者であるから、武力による侵略を今も行なっているのではない。「悲惨な戦争は二度としてはならない。平和が何よりだ。」とメディアなどから繰り返し流されるメッセージは戦いを悪とし、戦意を喪失させ、独立の尊厳を守る武力を放棄させて、戦わずして侵略・占領・支配を完遂しようとする深謀遠慮の匂いがしないであろうか。戦争は、軍事戦、サイバー戦、だけではない。現生人類の生存を脅かすものには、細菌も、ウイルスも、自然も、老いも、病も、交通もあるが、現生人類の行為のほとんどは、生存し権力を掌握・維持するための戦争の要素がある、といえないであろうか、教育も、歴史も、法律も、報道も、権力も、平等も、差別反対も、外交も、情報も、経済も、金融も、友好も。

 

 昭和20年8月、満州国は侵略され、建国13年で潰滅した。国家の保護を失った人々がいかに生命と財産を失って行ったか。(21世紀の今も、人々の生命、財産は失われているが。)

 国家の最大の使命は、国民の生命と財産を守ることであって、占領基本法(以下、基本法と略す)を守ることではない。基本法とは、大東亜戦争の敗戦によって主権を失っていた時期、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から英文で示されたものを日本語に翻訳したものである。

 基本法は、前文に「…諸国民の…信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。…」第9条に〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕とある。

 主権が回復してから、令和元年で、67年が過ぎたが、基本法を改正して、国民の生命と財産は自らの力で守る、という動きは、阻まれて久しい。日清戦争、日露戦争、大東亜戦争は、いずれも挑戦されての戦争であった。現生人類は、世界を支配したいという欲望を、依然として捨てきれないように見える。日本を狙って諸外国の動きが尖鋭化しているなか「侵略者の武力によって国が滅びようとも、基本法を守ることが何よりも大切だ」という人は、外国の走狗でないとするならば、山師だ、といえないだろうか。

 

 

(四)


 誹謗を捏造され、父祖の名誉を傷つけられ、嘘を世界に執拗に宣伝されているにもかかわらず、事実をもって嘘に反論せず、反撃しないから、無能・怯懦なのである、といえないであろうか。

 無能・怯懦であるから、誹謗を捏造され、父祖の名誉を傷つけられ、嘘を世界に執拗に宣伝されているにもかかわらず、事実をもって嘘に反論せず、反撃しない、のではない。

 

 

(五)


 ゲーテ(1749 - 1832)は言う。「勇気を失ったのは − すべてを失ったことだ!生まれなかったほうがよかっただろう。」生まれただけでは生存出来ない。父祖たちが生存を戦ったから、今がある。

 日本国を貶め、解体しようと躍起になっている、走狗の日本人ばかりが跋扈して、まともな日本人・目覚めた日本人は、まだまだ惰眼を貪っている、といえないであろうか。家族思いの勇者を復活させる叡知は、いつ動くのだろう。